「熱狂」の理由 ~Jリーグサポーターの自己分析~

プレミアリーグの強豪「チェルシー」のフーリガンを題材にした映画「フットボールファクトリー」を観た。約1時間半の映画だが「フーリガンが喧嘩して、酒飲んで、ドラッグやって、SEXした」の一文で全て要約できる内容。サッカーボールは1秒も登場しない代わりに、「Fu○k」という言葉は1万回くらい出てくる・・・そういう映画。

この映画を観終わった時に一応「この映画が伝えたかったものは何かな」と考えたが、答えは出てこなかった。一方で、主人公が最後に自分のフーリガン活動に対して意味があるのかを自問するシーンがあり、「YES」と答えているのが印象的。YESの中味は具体的に描かれていないものの、多分「仲間との絆」みたいな事ではないのかと推測してる。

インドネシア フーリガン
今年の2月、インドネシアサッカー観戦遠征で出会った彼らはフーリガンの雰囲気があった

■サポーターである理由

正直、フーリガンの活動は全く理解できないものの、サッカーに興味がない人達からしてみればJリーグサポーターも同じようなものかもしれない。特にゴール裏での応援の雰囲気はJリーグ開幕から20年以上経った今でも賛否両論ある。

そのゴール裏で応援するサポーターの1人として、フーリガンを理解する前に自分を理解しようと思い、就職活動時期以来の自己分析をした。第三者目線ではなく、≪なぜ自分はサポーター活動をするのか?≫という自問。答えは3つ出た。

①生きるエネルギーをもらっている

サポーターはその名の通り「応援する事」が活動のメインなのだが、逆に応援する事で力をもらっている。私は特に何かしらの宗教にも属していないので正確な感覚は分からないものの、見聞きする情報では「協会に行く事」に近いかもしれない。「疲れているからスタジアムには行かない」ではなく、「疲れているからスタジアムに行く」。讃美歌の代わりにチャントを歌う事で明日以降を生きるエネルギーを得る。大きな声を出せば出すほど元気をもらえる気がする。

ちなみに、アウェイ遠征翌日に頻繁に有給休暇を使っていたという自己矛盾に関しては自分の応援が足りなかったからと理解している。

②そこでしか表現できない自分がいる

人は色んな自分を演じている。「会社員としての自分」、「親(子供)としての自分」・・・etc.

まず、「サポーターとしての自分」は複数種類演じている「自分」の中でも能動的に演じている「自分」であるという事。そして、サポーターの世界では半匿名で活動する事になるので、比較的感情をオープンにしやすいというメリットもある。ネット上しかり。感情をオープンにしやすいという点で「サポーターとしての自分」こそ本当の自分であると思っている人は多いはず(Jリーグサポーター界はタコ壷化著しいので半匿名という表現が正確か微妙だが・・・)。

③一体感が心地良い

これはこのブログでも何度か書いてきたが、サッカー観戦の最大の魅力は「一体感」。同じ感情を多くの人と共有できる気持ち良さを味わいにスタジアムに行っている。その一体感は「仲間意識」と言い換える事も可能だと思っていて、②で書いた事と矛盾するように思えるかもしれないが、匿名や他人で構成される世界の中でも存在するもの。

この「一体感(仲間意識)」は冒頭で紹介した「フットボールファクトリー」の主人公がフーリガン活動を続ける意味に近いものだと思うが、分かりやすい「敵」との対戦時ほど生まれやすいものでもある。例えば「ダービー」などがそれにあたる。「フーリガン」はそうした感情が生みだした究極の形なのかもしれない。

以上3点が、私なりの「サポーター活動をする理由」。皆さんがサポーターを続ける理由も是非教えて下さい。

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