サッカーコラムの内容が全く記憶に残らない ~コラムの役割って何?~

私、サッカー雑誌の「コラム」が大好きなんです。

例えば、サッカー批評で連載されてる「ゴール裏センチメンタル合唱団(綱本将也さん)」はサポーター心理の描写が共感できるし、「サッカー星人(小田嶋隆さん)」は独特の言い回しが笑える。サッカーダイジェストで連載されている「蹴球百景(宇都宮徹壱さん)」は写真の魅力が文章でよりひきたてられる面白さがある。各雑誌の「編集長のひとこと」系のコラムも好きで、雑誌ではないけど川端暁彦さんがいた頃のエルゴラ一面のコラムは秀逸だった。

コラムが好き過ぎて、小田嶋さんとはお仕事でお会いする機会にも恵まれたし、一番好きなライターである川原崇さんにも会わせてもらえたし、PRの仕事の一環として自身も某サッカー雑誌でサッカー番組研究所というコラム(と呼べるような代物ではなかったが)を編集部の皆さんに校正してもらいながら書かせてもらっていた時期もあった。コラム愛は全国のサッカーファンでもベスト100位くらいには入ると思う。多分。

だけど、ふと思い返すと記憶に残っているコラムが1つもない事に気がついたんです。「過去最高のサッカーコラムは○○」とか言えない。

■サッカーコラムは優秀なコーチ?


そこで、自分なりに考えました。なぜコラムは記憶に残らないのか。

結論。

「サッカーコラムは考える『きっかけ』を与えてくれているにすぎないから」

文字数に制限があるコラムではテーマを深堀りする事はできず、コラム内で結論めいた事を書いていたとしても、根拠不足で印象に残らないんじゃないかと。結局は「問題提起」やあるテーマを考える「ヒント」止まりで文章が完結してしまっているのがコラムであると。

ただ、一見ネガティブに聞こえてしまうこの理由も実はもの凄くポジティブな事なんじゃないかと思うのです。

思い出したのは某有名コーチの台詞。

「コーチの役割は教える事ではない。選手に考えさせる事だ。問いかけ続ける事が大切。選手は考えれば考えるほど成長するものなのだよ」

つまり、何が言いたかったかと言うと、「サッカーコラムがファンにとっての『コーチ』」になりえるのではないかという事。

選手達は指示待ちではなく自ら考える事を求められる風潮が強まっているここ数年。それはサポーターの我々も同じ。コラムの内容が記憶に定着した時、それは解説者任せではなく、自らサッカーを考える習慣を得た時なのかもしれません・・・なんてね。

サッカースタジアムカメラ
※写真と本文は関係ありません

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