Jリーグサポーターのジレンマ ~日本代表との距離感について~

先日、サッカー日本代表の試合を観に埼玉スタジアムに行った。Jリーグの数倍はするチケット料金にも関わらず毎回満員になる人気コンテンツだ。もちろん、私も楽しんでいるサッカーファンの一人なのだが、たまに“第三者目線”で日本代表を観ていると感じる時がある。言い換えると、少し醒めている。日本代表を「We」ではなく「They」としてしか見られず試合に熱くなれないのだ。

私は日本代表ファンであると同時にガンバ大阪サポーターだが、ガンバ大阪に関しては前述のような醒めた感情をもった事がない。これはコミュニィサイズの違いが原因だと考えている。コミュニティが小さい方が連帯感を感じながら応援する事ができる。よく知っている分ピッチで戦っている選手は仲間であり、私達そのものだと思う事ができる。抽象的な表現にはなるが“心の距離”を応援において重要な要素であると捉えている。

同じ事を日本代表に求めるのは不可能な事だ。日本代表試合開催時におけるスタジアムの雰囲気が「軽く」「お祭りみたい」にJリーグサポーターから見えてしまうのはメンバー構成や活動頻度から考えても当然で、それは批判される事ではない。一人ひとりの熱量はJリーグサポーターよりも低いにも関わらず高いチケット代を払って6万人弱の集客ができている事はむしろポジティブな事ではないだろうか。小さなコミュニティで熱量が高くなった結果、タコツボ化したのがJリーグなのであれば、日本代表はこのままでいいと思う。


サッカーに興味を持つ“入口”として日本代表が果たしている役割は大きい

■矛盾する承認欲求

一方で、熱量的には低く見ている日本代表ではあるが、同時に特別視もしている。

今回は日本代表という媒体を通じて我がガンバ大阪の倉田という選手を日本中に知ってもらえた事、同じく今野が再評価を受けた事は我が事のように嬉しかった。ガンバというコミュニティの中では評価されていた2人がより大きなコミュニティに認められる喜びを感じた。

Jリーグにおいて欧州移籍を快く送り出すパターンが多いのは欧州サッカー界が自分達のクラブより大きな世界である事を認めているからこそだが、同じ事が日本代表にも当てはまる。


久しぶりに代表選手された倉田秋(ガンバ大阪)

「ハリル監督にうちの●●(選手名)がバレる!」
「代表に行かせないで休ませたい」

代表選出をネガティブに思うJリーグサポーター定番の台詞であるし、本音だ。個人的にもガンバ大阪のJリーグでの1勝はワールドカップ最終予選での1勝より100倍重い。ただ、前述のような代表での活躍を誇りに思う気持ちもある。

この矛盾する気持ちと付き合いつつ、これからもJリーグと日本代表を楽しもうと思う。

関連記事:インタビュー ~ブラジルワールドカップの思い出~





日々是Jリーグ ~集団的アイデンティティについて~

「来週の試合、“参戦”する?」

Jリーグサポーターの私が仲間と頻繁にやり取りする台詞である。Jリーグに興味がない方向けに通訳すると「次の試合はスタジアムで試合を観戦しますか?」となる。《観戦》ではなく《参戦》という言葉を使うところにサポーターがサポーターたる所以がある。

Jリーグでは「WE ARE REDS!」と叫ぶ応援が有名だが、言葉の通り試合に挑んでいるのは【He】でも【They】でもなく、【We】という感覚をサポーターは持っている。お客さんではなく、クラブの一員として闘うためにスタジアムに毎週向かっている。それすなわち、“参戦”なり。


声援を送る事でサポーターも試合を一緒に戦っている

応援するクラブへの貢献はスタジアム内だけに留まらない。私の場合、スポンサーへの感謝の気持ちから家電は【Panasonic】、移動は【ANA】、新聞は【朝日新聞】、飲み物は【コカ・コーラ】、たこ焼きは【くくる】と決めている。全ての行動はクラブに還元される事を意識しての事だ。

こんな調子だから学校や職場の同僚からは訝しがられた。「宗教みたい」と言われた事もある。そこにはネガティブな意味がこめられている。確かに前述の行動はお布施と大差がない。長谷川健太監督が入ったお風呂の残り湯は飲まないし、山内隆司社長の守護霊にインタビューする事もないながら、選手考案のお弁当を嬉しそうに食べる私は立派な信者に見えるだろう。

同僚には言えない。仲間内で私が本名ではなく、ハンドルネームで呼ばれているなんて。「こ~さん」は本名ベースなのでギリギリOK。「ロスタイムさん」「ロス7さん」はまずい。教祖から授与されたと名前なんだと勘違いされる恐れがある。そもそも今は「ロスタイム」ではなく「アディショナルタイム」なので時代遅れ感も良くない。まさか自分がブログ名で呼ばれる事になるなんて・・・。

ゲーフラ
数年前まで使っていたゲーフラ。メッセージ性が強い・・・

ただ、宗教よろしくサポーター間の精神的結び付きは強い。コミュニティの希薄化が社会問題になる中で、年齢・性別関係なくゴールが決まれば抱き合える関係性は貴重だ。同じ想いを万人と共有できる喜びは何事にも代え難い。

また、中国や韓国で試合が行われる際、現地での反日感情に触れる度に嫌でも自分達のアイデンティティを意識させられる。しかし、それは決して嫌な体験ではない。なぜなら、中指を立ててくる言葉の通じない彼らの姿により一層同胞であるサポーターの一体感を感じる事ができるから。対立する存在がいるからこそ感じられる精神的な充実や興奮はJリーグならではの魅力だ。


ACLアウェイの戦いには中毒性も

最後に、クラブを「うち」と一人称で呼ぶ我々サポーターは自己同一性が強いゆえ、新しい仲間が生まれにくい面がある。蛸壷化が叫ばれて久しいJリーグにおいて、サポーターに今、求められているものは受容力だ。今年は同僚をスタジアムに誘ってみよう。

「来週の試合、“参戦”しない?」


一緒にクラブの歴史を築こう

関連記事①:コアサポーターはJリーグを楽しめないのか?
関連記事②:【ACL遠征記】広州恒大-ガンバ大阪@天河体育中心体育場




虚無感の先に -天皇杯決勝総括-

肩を落とす選手達を拍手で迎い入れる川崎フロンターレサポーター。試合後に掲げられた風間監督への横断幕。大久保嘉人の挨拶に対する涙。あの光景はぬるいのだろうか。それとも幸せな光景なのだろうか。三冠を獲った長谷川健太監督のサッカーが結果を伴わなくなった途端にサポーターから愛されなくなった事を愁いながら、そんな事を考えた。

「タイトルを取らなければ何も残らない」というのは第三者の視点だ。無冠で終わった風間監督時代の川崎フロンターレのサッカーは数年後には多くの人に忘れられるのだろうが、川崎サポーターにとっても同じかどうかは分からない。また、新監督は継続路線である事も大きい。同じ継続路線で成功した広島のミシャ→森保の前例を考えても、この決勝戦が川崎にとっての“集大成”にはならない可能性がある。来シーズンへ向けて今の道が続いている事を感じる事ができる川崎サポーターは実は幸せなのではないだろうか。


いつもはガンバ一色の万博記念公園駅が天皇杯仕様に

■虚無感の先に

ガンバが勝ち残る事を信じて購入したチケットは川崎側の指定席だった。ゴール裏も近かったので彼らのこの一戦にかける想いの強さはチャントの声量からも伝わってきた。想いが強ければ強いほど夢破れた時のショックは大きく、「もしも川崎が負ければ・・・」という視点は(川崎サポには悪いが)正直に言ってこの試合の見所の1つだった。第三者的に悲劇はエンタテイメントなのだ。

結果は“良いサッカーをして負ける”というこれ以上ない儚いものとなった。

風間監督と大久保嘉人のラストゲームという点に加え、CS準決勝の悔しさも背負っての一戦だったと思う。それらが力になったのか、重荷になったのかは分からないが、敗戦という結果になってしまった時点でそれらは虚しさを助長させる要素となった。

ただ、味わった虚無感が大きければ大きいほどクラブへの愛が強まる不思議。補強の進んでいる川崎は来シーズンもきっと強いだろう。敗戦を否定するブーイングではなく、拍手の先に未来がある。


初めてラウンジ付きシートで観戦

関連記事:【2nd 最終節】川崎フロンターレ-ガンバ大阪@等々力



『J番記者による大忘年会2016』に参加してきた話

媒体を介さないゆえに伝えられる事がある。いわゆる「オフレコ」話はなんで面白いんだろう。悪い事を皆で共有するドキドキ感か、はたまた一人では抱えきれない秘事を他人に共有できる解放感か。「SNSで書かないで下さいよ」と言いながら楽しそうに話す姿が印象的だった。

ロフト9渋谷で開催された『J番記者による大忘年会2016』に参加してきた。その名の通り、Jリーグの番記者さん達が今年のJリーグを総括するトークイベント。参加者の大半が30代~50代男性という見るからにコアサポーターであろう方々ばかり。Jリーグを支えるサポーターの縮図がこのイベントにあった。ライトファンはトーク内容の半分も理解できないであろうマニアックさ。蛸壷化著しいJリーグに相応しいイベントだった。


イベントは満席

■色んな視点でJリーグを観る面白さ

オフレコは厳守するので書ける事は少ないながら一言でイベントを総括すると「知らない事ってまだまだあるんだな」。番記者だからこそ知りうる「クラブ人事」、「スポンサーやサポーターの影響力」、「ロッカールームや試合後記者会見での監督・コーチの発言」等々の裏話。 別に必要以上にリアルを知りたいとは思わない。ただ、多少のオフレコを知りうる事で今まで以上に行間を読めるようになる楽しみはある。

また、視点を変える事で見えるものもある。トークテーマの1つに「堂安律に翻弄された今季のJ3」という栃木の番記者から観たJ3総括があった。ガンバサポーターはさほど気にしないであろう他サポのガンバ大阪U-23に対する見方を知れるし、相手の想いを知る事でその試合が持つ意味が増えてより観戦を楽しめるようになる。


律の出場有無が栃木と大分の運命を分けた!?

そういう意味では同じコンセプトでサポーターをスピーカーとしたイベントがあっても面白くなりそう。番記者しか知らないオフレコ情報があるように、サポーターしか知らない事件簿や流行はクラブ毎に特徴が出そうな気がする。今回のイベントでもアシシ氏が「ジェフ運営炎上事件」を語り、蒼井ちあきさんがガンバファン感で「小川と一美がGO皆川を披露」してからピッチ上での連携が深まった話をするなど、マニアックさは避けられないながらも一般的にはあまり知られていない小ネタは山ほどある。MCはドメサカブログの中の人 、SPゲストは盟主。チケット代は1000円(1ドリンク制)でどうだ。


炎上やアンチについて語るアシシ氏


毎試合つけているサッカーノートを披露する蒼井ちあきさん


宇都宮さんはアンダーカテゴリにおける面白ネタを連発

とまあ、例の如く堅苦しい事も書いたが、イベント自体はゆるい空気で、多くの笑いがあるものなので、興味を持たれた方は気楽な気持ちで次回参加してみてはいかがでしょうか(「エアインタビュー」の話題時に若干ピリ付いた空気が流れたのはオフレコで)。

関連記事:日本のサッカー文化に多様性を ~ヨコハマ・フットボール映画祭レポート~



コアサポーターはJリーグを楽しめないのか?

「マニアがコンテンツを潰す」という格言はどの業界でも使われているらしい。要はコンテンツへの貢献度の高い一部ファン(マニア)がライトファンに排他的な態度を取ったり、コンテンツ側がマニアばかりを気にしてライトファン向けのサービスを提供できなくなる事を指している。

ライトファンは眩しい。ここ数年、「最近サポーターになりました」という方々と出会う機会が多いが、初体験を重ねる日々は刺激的である事が傍からも伝わってくる。常々「歴史(過去)をファン・サポーターで共有する事がよりコンテンツを面白くする」とブログに綴る自分はマニアだ。過去の共有を求める事はライトファンからすれば排他的に映るかもしれない。

ガンバが弱い時代を知らなくてもガンバが勝てば嬉しい。2002年ワールドカップのバッドマンを知らなくても宮本恒靖はガンバのレジェンド。2008年の暴動を知らなくてもレッズサポーターはなんかムカつく。それでいい。なんの問題もない。知らない事を罪だと思う心が罪なのだ。



■経験が熱量を下げる?

ここから本題。

前述の通り、Jリーグは継続的に応援する事で紡がれる歴史を楽しめるコンテンツだと思う。ただ、一方で積み重ねてきたサポーターとしての「経験」が感度を下げる時がある。

例えば、ナビスコカップ決勝。2005年、国立競技場で仙石さんのスタメン紹介を聞いた時は興奮で体が震えた。2007年のナビスコカップ決勝ではスタメン紹介時点で感情が高まり泣いているサポーターが自分を含め相当数存在した。

今は違う。

「2005年の忘れものを取りに来たぜ!」は2007年ナビスコカップ決勝前煽りVTRのメッセージだが、ガンバ大阪にはもうどこにも忘れ物がない。リーグも、ルヴァンも、天皇杯も、ACLも・・・初体験が残されていない寂しさがある。経験を積み重ねる事はコンテンツを楽しむ上で必ずしも是ではない。


だからこそコアサポーターは「未経験」を求めてACLアウェイやJ3の地方遠征に旅立つ

歴史を知っているからこそ楽しめる事があるのは事実。一方で2回目の方が感動できたという経験がない事も事実。クラブ(スタジアム)から距離を置いて接するスタイルに変えた“元・コアサポーター”を多数知っているが、たまに自分もJリーグに対する熱量が落ちているのではないかと不安になる時がある。

そんな時、自分の熱量を回復させてくれる存在がライトファンである事は多々ある。純粋にJリーグを楽しむ姿を見ると、自分ももう一度新しいサイクルを楽しませてもらえる感覚になれる。つまり、コアサポーターこそ実はライトファンの存在に支えられているのではないかと思い始めている。だからこそ、ライトファンが更に楽しめる手助けをしたいと思うし、その連続がコンテンツを発展させるはずだ。

関連記事:「アルプス一万尺」の歌い方 ~アウェイサポーターとして松本遠征を経験して~